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- 対馬 ~国境島の苦悩~
小谷野です。
春休みシリーズ、今回は長崎県に属する離島「対馬」です。
対馬が歴史の表舞台に現れるのは、飛鳥時代でしょうか。
(663年:白村江の戦い)
朝鮮半島の白村江において、倭国(日本)と百済の連合軍は、新羅・唐の連合軍に敗れました。
敗戦後、新羅・唐の連合軍の日本侵攻に備えて防人(さきもり)が置かれ、各地で防衛のための城が築かれました。
その最前線が、対馬に築いた金田城です。(写真1)
(1274年:元寇)
モンゴル・高麗の連合軍が900艘の船で3万5千人の軍隊で日本に攻めてきました。
最初の到来場所である対馬で迎え撃ったのは対馬の守護代「宗助国(そうすけくに)」(写真2)で、わずか80騎で立ち向かい、壮絶な討ち死にをしたと伝わっています。
(1592年:朝鮮出兵)
朝鮮貿易で朝鮮半島と友好な関係を築いて貿易を続けていた対馬に突然、秀吉が朝鮮攻めの先鋒を命じました。
今まで仲良くしてきた友人を、殺戮する立場になったのです。
秀吉に逆らうことはできず、出兵しました。
(関係修復を徳川家康から命じられる)
朝鮮出兵により悪化した日朝関係の修復を、対馬が行うように家康が命じました。
対馬から和平交渉のために派遣した使節団を全員殺されたりと苦悩が続きましたが、日本国が詫びる国書を偽造(柳川事件)して、なんとか関係修復にこぎ着けました。
国書の偽造事件はその後明るみに出ましたが、家光が対馬藩にお咎め無しと裁定しました。
(朝鮮通信使)
徳川将軍の代変わりの時期に朝鮮通信使と言われる使節団が訪日し、江戸や日光まで赴き、友好関係を続けました。
室町から続く朝鮮の外交使節団の訪日の様子は、現在も日本各所でお祭り行事として伝承されています。
さて、対馬は真珠養殖で有名ですが、食べ物としては様々な種類の魚が楽しめます。
その中でも、穴子はNHK番組ブラタモリでも取り上げられたように絶品です。
空港から40分北へ車で走ると「あなご亭」があります。
今までの穴子の概念を破るものでした。
一番良い素材は地元のお店で消費し、それ以外は豊洲に送るそうです。
~外交に揺れた国境の島、小谷野でした~