『「どのようにして」またどのような「契約」によって人工人間はつくられるか。
「主権者」の「権利」および正当な「権力」あるいは「権限」は何か』
―「リヴァイアサン」より。
最大の問題は、ここ最近自分ばかりがわけもなく忙しいような気がしてしまうことですね。実際にはみんなそれなりに忙しくて、そこに差はないはずなのですが。
こうなると、根本的に気持ちを入れ替えないとまずいことになるというのは、これまでの経験上間違いがないわけです。
さて、哲学ですね。もう飽き飽きしたでしょうか。
社会契約説については、私を含め多くの人が学生時代に学んでいます。学んでいるはずです。
歴史的な革命と時期を同じくしていることもあり、神が国王に権力を与えたとする「王権神受説」はキリスト教という絶対的権威のもと、なくてはならない考え方でした。
で、冒頭の一文。
社会契約説は「自然状態」という概念のもと成り立っています。国家とか、社会とか、そういうのが出来上がる前の状態を自然状態とし、そこから、神はどのようにして世界を、または社会を創造し、そして個々の人間を作るに至ったのか、一個の人間はどのように存在するべきなのか、ということを真面目に考えたもので、極めて革新的なものでした。
で、著者のトマス・ホッブスさんは、国家を人間ひとりひとりのネットワークの総称と考えて、その一個の人間と、国家がどのような契約を基礎にしてないといけないのか、そのときに権利や権力の正当性をどうやって測るのか、ということを考えたわけです。
どうでしょうか。
これまで懲りずに読んできてくれた数少ない読者が潮が退くように離れていくのを感じますね。
社会契約説の行き着く先は、戦争と革命です。
自然状態に置かれた個々は他との繋がりを求めて戦争状態になる。よって、そこから起こりうる戦争や革命は起こるべくしてもたらされますよ。と、ホッブスさんはじめ社会契約説に紐づく哲学者が言っています。
いやはや、哲学しんどい。
次回はお待ちかね(?)ジョン・ロックを取り上げます。ちなみにロックさんは「認識論」の派閥。
知覚したものしか経験として蓄積されないよ、という「経験論」をぶちあげた哲学者さんです。
ではまた。
【参考:読まずに死ねない哲学名著50】