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- 働き方改革のゴール~富岡製糸場~
小谷野です。
群馬県、富岡製糸場を38年ぶりに訪れました。
学生時代、オートバイにテントを積んで日本一周していた頃以来でした。
もちろん世界遺産に登録されてからは初めてです。
製糸場は明治初期の殖産興業時代の象徴であり、
輸出品の要として生糸は日本を支えました。
ところで今回、自分の思い違いに気づきました。
富岡製糸場は少女達に過酷な労働を強いた、
日本の労働環境を語る際には歴史的汚点ともいえる場所だと思っていました。
しかし、全く異なりました。
明治時代の設立当初は、技術導入や労働を含めた管理はフランス人が
行っていたこともあり、少なくても赤字になり民間に払い下げられるまでは、
昨今日本が進めている働き方改革のゴールのような労働環境だったようです。
清潔に寝泊まりできる寮、栄養に配慮された食事、遊戯場の設置、
医師が駐在して健康診断もありと、とても恵まれた環境だったようです。
電灯が普及していませんから、日が暮れたら作業はありません。
残業はなく1日の労働時間は8時間程度で、実家の農作業の手伝いをするより
遙かに楽だったとの話もあります。
当初はフランス人が赤ワインを飲む姿を見て、
「富岡製糸場に娘を働きに出すと生き血が取られる」という噂が広まり、
女工を集めるのに苦労した話もあったようですが。
私は、『女工哀史』『ああ野麦峠』などの映画・ドラマ・出版物から、
過酷な環境の紡績工場で働く女性労働者のイメージしか
持っていませんでした。
メディアからのイメージのみで、富岡製糸場の正確な情報を
持っていなかったことに反省です。
~ 日が暮れたら職場は閉鎖、イイネ! 小谷野でした ~