代表 小谷野幹雄のブログ

2022年08月18日熊本城 ~復旧はまだ遠く~

小谷野です。

 

2016年の大地震によって熊本地方は大きな被害を受けました。

熊本城も例外ではありませんでした。

算木積(*)が全崩壊を救った「櫓(やぐら)」の映像をTVで見たときに目頭が熱くなったのを覚えています。

(飯田丸櫓の地震直後の写真を参照)

 

(*)算木積:石材加工技術が進歩した関ヶ原の戦い以降の築城で見られる石垣の角の部分の積み方で、石材の長編と短編を交互に組み合わせることにより高い強度が得られる石の積み方。

 

 

城のシンボルである天守は先行して修復し、昨年見学が再開されましたが、多くの櫓、御殿、石垣は崩壊したままで、修復にはまだ20年もかかるそうです。

ところで、熊本城は築城の名手である加藤清正が精魂込めて築城したもので、壮大で堅固な城は、素人目にも攻め込むには困難と分かります。

その強さが実証されたのは築城から260年後の西南戦争で、城内の4000人の明治新政府軍が1万4000人を率いる西郷隆盛大軍を退けました。

 

 

西郷隆盛の言葉「新政府軍に負けたのではない、(熊本城を築城した)加藤清正公に負けたのだ」は、伝説として伝えられています。

残念なことに、勇壮な天守は決戦の前日に新政府軍が大砲などの目標にならないように、城下町と同様に燃やしてしまったそうです。(諸説有り)

 

 

全くの余談ですが、熊本県出身の演歌歌手の紹介です。

熊本市内の水前寺公園を訪問したときに気付きましたが、365歩のマーチで有名な水前寺清子さんは熊本市出身で、この公園がある「水前寺」という地名と、清子の「清」は、熊本城を築城した加藤清正の名前から取ったそうです。

 

また、熊本市の南に位置する続日本名城100選の八代(やつしろ)城を訪問したときに気付きましたが、八代亜紀さんはこちらの熊本県八代市出身でした。

「やつしろ」ではなく読みやすい「やしろ」と読ませたようです。

 

 

~少額寄付により復興熊本城主になった、小谷野でした~

(算木積で全壊を免れた、飯田丸櫓)

(5年の歳月をかけて復旧した天守・小天守)

(修復は遠い道のり)

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