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- お城が残っていない3つの理由 ~現存天守、備中松山城~
小谷野です。
備中松山城は日本100名城に選ばれ、昔のまま現存する天守12城のうちのひとつで、唯一の山城です。
山の上にあるので、登城までの道のりは大変です。
場所は、松山城といっても愛媛県ではなく岡山県で、高梁(たかはし)市を見下ろす山頂にあります。
雲海に浮かぶ城として写真マニアには有名で、秋から初冬の日の出から8~9時くらいの間に、
雲海に浮かぶ天守が見られる機会が多いそうです。
ところで何故、昔のまま残っている天守が12しかないのでしょうか。
お城がそのままの姿で残っていない理由は3つあるようです。
一つ目は、1615年、徳川が夏の陣で豊臣を滅ぼした直後に出た「一国一城令」です。
大名の軍事力を削減する目的で発令され、3000あった城の9割以上が消滅したと言われています。
二つ目は、1873(明治6年)「廃城令」です。
政府の城の管理費用の負担が大きく、燃料用の木材として、城に使われている鉄の価値に対し、
タダ同然で払い下げられた城も多かったようです。
この時、軍が拠点として活用していた城は60程度残ったと言われています。
三つ目は、太平洋戦争です。
お城を軍の施設として使うことが多く、空襲の対象になりました。
原爆で消失した毛利輝元築城の広島城を筆頭に、名古屋城、岡山城、水戸城、福山城、岡山城・・・
戦前の国宝天守の多くが消失しました。
前述の、備中松山城は明治の廃城令で、タダ同然で払い下げられましたが、
山の上であまりにも不便なので解体を免れた天守のようです。
以下が、現存天守12城です。
弘前城(青森)、松本城(長野)、丸岡城(福井)、犬山城(愛知)、彦根城(滋賀)、
姫路城(兵庫)、松江城(島根)、備中松山城(岡山)、丸亀城(香川)、
伊予松山城(愛媛)、宇和島城(愛媛)、高知城(高知)
~現存昭和おじさん、小谷野でした~
(備中松山城)
(大変な山登りに、城主ねぎらいの言葉)