310年前の今夜(明日未明)、赤穂浪士による吉良屋敷討ち入りが実行されました。
1年9か月前、江戸城中松の廊下で吉良上野介に切り掛かり、即日切腹を命ぜられた主君浅野内匠頭の敵討ちです。歌舞伎の演目数一位「仮名手本忠臣蔵」のモデルとなった事件。
泉岳寺に祖父の墓があったので、子供の頃から「忠臣蔵」にはなんとなく馴染みがあり、毎年この頃になるとテレビドラマを叔父さんや父親のウンチクを聞きながら見た記憶があります。
最近書店で「「忠臣蔵」の決算書」(新潮新書/山本博文著)という本を見つけ読んでみました。赤穂浪士のリーダーであった大石内蔵助は、廃藩手続終了後の残余金を、討ち入りのための軍資金とし、その出納を「預置候金銀請払帳(あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう)」として残していたのだそうです。
その資料によると、廃藩から討ち入りまでの1年9か月の軍資金691両(1両=12万円として換算すると8,292万円)の使途内訳は次のようでした。
仏事費 127両(18.4%)
御家再興工作費 65両(9.4%)
江戸屋敷購入費 70両(10.1%)
旅費・江戸逗留費 284両(35.6%)
会議通信費 11両(1.6%)
生活補助費 132両(19.0%)
討入り装備費 12両(1.7%)
その他 30両(4.2%)
これをみて注目されるのは、亡君の石塔建立など仏事に100両以上2割弱のお金を使っている点です。限られた資金の中からもこれだけの支出をしたことに家臣としての主君への想いや浪士の結束を強めようとする意志を感じます。
また旅費や江戸逗留費に35%もの大金を費やしていることも意外に思いました。これは、時期を見計らい周到な準備の上事をなそうとする大石の考えに反発し、生活に困窮してすぐにでも討ち入りを主張した江戸に潜伏する急進派をなだめるため、上方を何度も往復したために嵩んだものだそうです。
討入り時の、先手必勝、3名1組のチームワーク、一点集中の各個撃破、など戦術面の工夫は聞き知っていましたが、しっかりとした財務管理が計画成就を支えていたことを改めて学びました。
「たかがお金であるが、お金が尽きて失敗するプロジェクトは、古今東西にいくらでも例がある」終章で述べられる一文を読み、会計・財務の重要性を再認識した次第です。
おわり