多摩大学「現代世界解析講座ⅩⅣ」の第5回目(11月4日)は多摩大学経営情報学部の初見康行准教授による「労働観の過去と未来-AIとBIがもたらすもの-」でした。
1.過去の労働観
(1)古代ギリシアの労働観
労働に価値が認められることは一切ありませんでした。例えば、都市国家ポリスでは、労働=罰であり、労働は奴隷が行うものでした。
特に、①注文主の命令と要求を形にするだけのモノづくり職人、②欲望を際限なく増殖させる“貨幣を扱う商人”は、 労働の中でも特に「卑しい」とされました。
逆にいえば、市民は奴隷による労働で支えられていました。
(2)中世の労働観
キリスト教の価値観により職業の善悪が決められており、そのタブーとなる基準が、①血のタブー、②不純・不潔のタブー、③金銭のタブーの3つで、それぞれに対応する職業が、①肉屋、外科医、死刑執行人、兵士、②売春婦、③高利貸し、でした。
ただ、新興勢力である商人の力が強くなると共に、例えば、商人については、公益のために商業に従事するなら報酬は労働の対価として正当なものである、と解釈が変わっていきました。
(3)近代の労働観
マルクスの“資本論”は、賃労働は自分で行う労働でありながら自分の意志に従って行われる労働ではない、という「疎外された労働」を指摘し、労働自体が人間の喜びとなるような共産主義社会への理論を打ち出しました。
2.未来の労働
AIの飛躍的発展により、特定分野に特化したAI(=特化型AI)に人間は勝てなくなり、効率性や生産性が要求される工場労働者や専門性が低い職業は、AIによって淘汰され、大量失業が発生する結果、社会の中に「経済的価値を生まない無用者階級(Useless Class)」が生まれます。
そこで、全ての国民に必要最低限のお金を毎月支給する(ex.7~8万円/月)ベーシックインカム(BI)の出番となります。
こうして、「労働」と「生存」が切り離され、有史以来、初めて、生きていくために労働する必要がなくなる世界が到来します。
「働かざる者食うべからず」から「働かなくても食ってよし」への転換です。
ただ、この脱労働(ポストワーク)社会においては、「生活が保障されても働きますか?」という問いに答えるべく、労働の再定義が必要となるでしょう。
特に、勤労の義務が憲法で定められており、勤労道徳が根付いている日本においては、大きな価値転換となります。
一つの答えとしては、AIとBIが人々を労働から解放して、奴隷が労働を担っていた古代の都市国家ポリスのように、優れた哲学・文化・芸術が開花するかもしれません。
そして、ここでは「好きなこと・やりたいこと」を見つける能力が重要になります。