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- 天下布武の意味 ~安土城~
小谷野です。
長年訪れてみたかった場所が、琵琶湖の東岸にある安土城跡です。
最近、織田信長が初めて本格的な築城をした小牧山城を取り上げましたが、今回も信長由来のお城です。
お城の話の前に、信長の掲げた政策「天下布武」についてです。
この「天下布武」は、武力をもって天下を制するという乱暴な意味ではなかったというのが定説です。
「武」の七徳
①武力行使を禁じ②戦いをやめ③大国を保全し④功績をなしとげる
⑤人民の生活を安定させ⑥大衆を仲良くさせ⑦経済を繁栄させる
つまり天下泰平の世を創ることを意味するといわれ、現代の世界情勢にも通じるものを感じます。
さて安土城は、天下統一を目前に控えた信長が、天皇をお迎えすることを前提に作らせた、大規模、奇抜、豪華絢爛なものであったようです。
天守閣内部は、中央の礎石がなく、吹き抜けで仏塔が建物中央内部にあったと推測されています。(写真を参照)
残念ながら1582年本能寺の変の後、完成から僅か6年で火災により消滅しましたが、その豪華絢爛さは実際に訪問した宣教師ルイスフロイトが記録を残しています。
日本史年表にある、戦国時代の安土桃山時代(1868-1600)の「安土」もこの城の地名からとったものです。
ちなみに「桃山」は秀吉の居城伏見城が桃山丘陵からにあったことに由来があります。
「楽市楽座」が始まったのも、信長が安土城に拠点を移してからと言われています。
既得権に固まっていた各地の城下町の古い商売ルールに穴を開け、自由な経済活動を推進して各地の経済基盤を拡大させました。
~徳を以て怨みに報ゆ(難)、小谷野でした~
(天皇の行幸が念頭にあるので、広い直線的な大手道 ~城の防衛機能は低い~)