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- 普賢岳大惨事から30年 ~東の麓には島原城~
小谷野です。
長崎県島原半島の雲仙普賢岳の大火砕流で、報道陣、警察官、消防員、火山学者ら43名が亡くなった大惨事(1991.6.3)から30年になります。時速100kmで人々に迫る火砕流の映像は今なお、鮮明に覚えています。
最後まで火砕流の撮影をして巻き込まれ、灰に埋もれたカメラ機器は「がまだすドーム(普賢岳災害記念館)」に展示されています。
(*がまだす:島原地方の方言で、頑張る、精を出す の意味)
30年後の現在も火砕流、土石流を防ぐための水無川の防災工事は今も続いています。
火山災害の予知精度が上がることを祈るばかりです。
ところで、この雲仙普賢岳の東側麓の島原市内に日本100名城に選ばれている島原城があります。
島原城は松倉重政が7年をかけて1624に完成させた城です。
4万石という小さな石高のわりに巨大で荘厳な城を作り、異常な年貢のため領民の不満が大きく、その子ども松倉勝家の時代、1637年江戸時代最大の一揆が勃発しました。島原の乱です。
これに天草諸島の領民が合流して、島原・天草の乱となりました。
堅固な島原城を落とせず、南の原城跡に籠城した3.7万人が殺されたといわれています。
江戸時代最後の大きな戦争ともいわれます。死者数が多く農民不足となり、他国から農民を受け入れる政策をとらなければ国が維持できない状態となりました。
一方、明らかに異常な年貢取立てを行っていた島原藩主松倉勝家は改易後斬首、天草の領主寺沢家も自害お家断絶となりました。
さて、島原半島内の温泉についてです。元になるマグマ溜まりは半島の西側の海下1ヶ所ですが、湧き出る3カ所の温泉街までに、通過する地質が異なるのでそれぞれ異なる泉質が楽しめます。
島原半島内の3ヶ所の温泉は、標高の高い雲仙温泉が白濁の硫黄泉、島原温泉は炭酸水素塩泉、小浜温泉は海に近いので食塩泉です。
~災害グッズを再チェック、小谷野でした~
(大野木場小学校の真横を火砕流が通過、学校内の掲示板より)
(土石流で埋まった家屋)
(島原城)