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2015年01月31日 / 投稿者:Hasegawa 芝居小屋の帰り道

1月も早や最終日。
毎年年初は墓参りに泉岳寺へ行きます。

泉岳寺といえば赤穂浪士のお墓があるお寺。
この赤穂浪士の物語を説明しようとすると、ある点がよく分からないことに気づきました。

なぜ、浅野内匠頭は吉良上野介に殿中松の廊下で切り掛かってしまったのか??
子供の頃に聞いた、浅野内匠頭が、上役である吉良上野介からのイジメを恨んだからというだけで、
切腹や藩取り潰しも省みず暴挙に出たのが今一つ腑に落ちないと感じてました。

先日、今年の大河ドラマ「花燃ゆ」の初回放送を見ていたら、
吉田松陰が長州藩の山鹿流兵学師範であったことに気づきました。
山鹿流といえば、大石内蔵助が吉良邸討ち入りの際に叩いた陣太鼓も山鹿流。
幕末尊王思想の指導者である吉田松陰と赤穂浪士がつながってきました。
で、「山鹿流」「吉田松陰」「赤穂浪士」で検索すると、先の疑問の答えとなる人気ブログの記事に行き当たりました。

長くなるので、要約しちゃうと、この二人の確執の背景には、実は、山鹿流という皇室尊崇を説いた学問を学んだ内匠頭と、
幕府将軍家こそ大事とする吉良上野介との思想の対立があったのだそうです。

その対立が、浅野内匠頭の殿中松の廊下の刃傷沙汰のあと、あの、何事にも意思決定に時間のかかる徳川幕府をして、
その日のうちに切腹という素早い対応をさせたし、大石内蔵助が討入の際、夜中に敢えて山鹿流陣太鼓を打ち鳴らした理由でもある、とか。
詳しくは、こちらをお読みください。

こういう事情は、歌舞伎や講談では説明されなかったのだそうです。幕府のお膝元の江戸での興行で、いちいち語ることができないから。

で、こういう芝居で説明されないハナシは、芝居小屋の帰り道に、お父さん(あるいは、お爺ちゃん)が子供に言い聞かせるんだそうです。
それで子供たちは、なるほどと納得する。「江戸の芸能は、芝居の途中と帰り道に、二度楽しめる」と言われるゆえん、なのだとか。

お父さんは色々勉強しとかないといけないですね。

こんな唄もあるんですね。”梶川どのぉ~” 大和魂溢れる唄だな~。

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