スタッフブログ

2024年10月24日 / 投稿者:Iwasaki ちょっと政治のこととか意識しちゃったりしますか。

紀元前431年にペロポネソス戦争というのがありましてね。

 

 

アテネとスパルタが戦争していました。

アテネもスパルタもなんか聞いたことありますよね。

アテネは現在もある地名ですし、スパルタなんかは日本語としても伝わるくらいに一般化されています。
そう考えると、ギリシャ文明とかそういう紀元前のお話であっても意外にとっつきやすいというか、急に距離が詰まる感じがしてきます。

 

アテネ側の最高権力者はペリクレスさん、30年にわたりその政治力を行使し、この間に海洋軍事力の強化のほか、兵士への給料制の導入、市民権を用いた議会制の導入など、アテネの発展にとてつもなく貢献した人です。
なんかすごい人なんだな、ってことが伝わればそれで大丈夫です。

 

逆に、そうして順調に発展したことによって外から疎まれてスパルタから攻められてしまったともいえます。

スパルタは陸軍がすぐれているのに対してアテネは海軍に軍事力のほとんどを集約していたので、籠城策を伴う洋上での決戦に挑むつもりでした。

 

ところが籠城をはじめて間もなく、アテネの国内で疫病が大流行。
市民が次々に犠牲となり市民からの支持も急落、兵力も弱まり戦争にも敗けてしまいました。

 

最終的には自身も疫病によって命を落としてしまったペリクレスさんですが、疫病はあくまでおまけみたいなもので、それ以前の戦争に対する姿勢がよくなかったとする論が多いです。

強力なスパルタ軍と正面からぶつかっては勝ち目がないと判断したペリクレスさんは先にも記したとおり海上での籠城策をとって時間を稼ぎ、相手の疲弊を待つ戦略をとっていました。
疫病が流行し出してからは、より防戦一辺倒になり、ひとまず現状を維持することだけを主眼に兵士たちにも指示を出していたと言います。

 

このように、「防御的な行動で敵の疲弊を待ち、現状維持を狙う戦略」のことを彼の最期を揶揄するかのようにペリクレス戦略というそうです。

 

 

ひどい、ものすごく馬鹿にされています。
立派な人だと思ったのに。

 

 

とはいえ、身につまされるというか・・・。
ハナから現状維持ではダメだと、現状維持では滅びますよ、というのは戦争に限らず、現代の私たちの仕事においても十分に考えさせられるものです。

 

え?あ、だから名前が残るくらいになっているということですね。

 

当たり前といえば当たり前ということですか。

 

なんかこう、人の批判をするばかりじゃなく、”どのように”すれば、”何が”、”どのように”、よくなるのか、ということをきちんと議論していきたいですよね。

 

ではまた。

 

 

 

 

PAGETOP

お問い合わせ