- HOME
- 代表 小谷野幹雄のブログ
- 秋田の城 ~400年の統治が続く?~
小谷野です。
今週末からゴールデンウィークですので、ブログは秋田の城廻りからです。
秋田市内には秋田城(続名城100選)と久保田城(名城100選)があります。
秋田城の歴史は古く、奈良時代の出羽国北部の行政・軍事・外交を担った場所です。
この秋田城郭には、ブラタモリでも紹介された古代の水洗トイレが残されています。
一方、久保田城は、佐竹氏が江戸初期に築城した城で、幕末まで藩主の居城であり行政の中心でした。
秋田を幕末まで統治した佐竹家はもともと常陸国(茨城県)出身で、豊臣政権下では、常州の旗頭として55万石を与えられた大大名でした。
しかし、関ヶ原の戦いで東西両軍への態度が不明確であった為、徳川家康は佐竹家を出羽国秋田へ国替えを行いました。
そして外様佐竹家による秋田の統治が幕末まで続きました。
幕末の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟を離脱して新政府軍として戦った久保田藩(秋田)ですが、もしかしたら、260年前の家康からの左遷の怨みが残っていたのかも知れません(関係ないかもしれません)。
毛利家が関ヶ原の戦いで長州に左遷され、260年後に徳川幕府を倒す先鋒となったことも思い出しました。
ちなみに、秋田県知事は現在、佐竹北家21代目の佐竹敬久(のりひさ)氏です。
~佐竹氏による400年の統治? 小谷野でした~