室町幕府が滅亡したのは1573年7月のこと。
室町幕府最後の将軍は足利義昭。
織田信長が義昭を京都から追放したことを、室町時代の終結とするのが一般的です。授業でもそう習いましたよね。
とはいえ、物事の帰結には必ずそこに至る過程があるものです。
「バタフライ効果」などと言って小さな羽ばたきが台風を生むとか言っていられません。
そもそも義昭は、信長の後押しによって室町幕府15代の将軍に就任しました。
しかし、次第にそりが合わなくなり、徳川軍が三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れたのを好機として
(家康については、有名なしかみ像の絵が浜松城にありますね)
1573年1月30日、朝倉軍や武田軍の信長包囲網に加勢する形で義昭も信長討伐のために挙兵しています。
(あー、だからこのタイミングでブログを書いているんですね)
しかし、義昭が挙兵したあと、形勢は逆転し、信長は近江の城、石山城、今堅田城といった義昭の居城を一掃。一度は義昭に対して和睦を申し入れますが義昭は応じませんでした。
最終的には南山城に陣を張る義昭に対して7万人の大軍を動員した信長はついに義昭を京都から追放しました。
で、ブログタイトルの和歌です。
かぞいろと やしなひ立てし 甲斐もなく いたくも花を 雨の打つ音。
現代語訳するとですね、
「親身になって育ててあげた甲斐がないね、花の御所には強い雨の降る音がしてるよ」
みたいな感じです。「花の御所」は将軍の住む家のことを指します。
大事なことは”次第にそりが合わなくなり”とかいって私がぼかした部分です。
どのようなことにも帰結に至る原因が存在しています。
でも長くなりますからね、今日のところはやめておきましょう。
ではまた。