『夢という綺麗な単語を便利につかいこなして、自らを許そうというやり口が受け入れられないというのは、しかしながら、なにも宝くじに限った話ではない。
大人が子供に、まるで自身の幼少期への復讐でもするかのように夢の大切さばかりを語るため、何事につけ、『夢を追う』という大義名分があまりにまかり通りやすい風潮があるとも言える。
夢なんだからいいだろう、とか。
失敗しても、これは夢を追っていたのだから、それで後悔はないのだ、とか。
ただまぁ、よくよく考えてみれば、夢であろうとなんであろうと、生じる損害や振りまかれる迷惑が、輝いたりきらめいたりするわけでもない。ともすると、『夢を追う』というのは、『現実から逃げる』と、まんまイコールだったりもして、追っているのか逃げているのかのジャッジはなかなか当人にできるものでもなさそうだ。』
西尾維新著『悲亡伝』より。
この冒頭、もしかして前にもやりましたね。
まぁ、いいですね。誰にも気づかれません。
さて、来年の4月末で平成が終わります。これまではこうして事前に知らされて終わることがなかったわけですから当たり前といえば当たり前ですが、今年の夏は平成最後の夏ということです。
こうして、平成最後のとか言うと、なんか貴重な気配がしてきますが、実際にはなにもかわらないですね、残念ながら。どうですか、平成最後の〇〇。なにか思い当たりますか。
これからやってくる平成最後の夏、どんな風に過ごしますか。
私は、そうですね。
あ、私はこういうの苦手、というか嫌いなんですよね。忘れていました。
ではまた。