『心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念はすこしもないと想定しよう』
―「人間知性論」より。
さて、ロックさんですね。
ロックさんは、知覚したものしか経験として蓄積されないよ、という「経験論」をぶちあげたのは前回も述べました。
で、冒頭の一文。
とはいえ、いきなり想定しようとか言われましてもね。
認識論のなかでも何個か前のデカルトさんは共通了解という考えのもと、みんなが同じように思ったらひとまずオーケー、という考え方でしたが、経験論においては、知覚経験に基づいて構成された認識からしか理解は生まれないので、知覚経験が届かないような根本原理には触れてはいけないよ、と主張されます。
簡単に言うと、知りもしないのに勝手なこと言うなよ。というわけです。
ぐっと、こっちに近づいてきた気がしますね。さすがロックさんです。
ちなみに、世界史の教科書に必ずでてくるロックさんの著書は「市民政府論」と「市民政府二論」ですね。
「人間はもともと自由で平等な存在として作られたんだよ!」ということが書いてます。くわえて「同時に孤独でもあるので、他人のものを傷つけたりしちゃダメなんだよ!」ということも書いてます。さらには「だからこそ、社会契約説において人々は国家に統治されるべきなんだよ!」ということ書いてます。
おや、様子が変わってきましたね。
市民政府論の考え方はアメリカ独立戦争における思想的な根拠となったとも言われています。なかなか好戦的な考え方です。
ともあれ、ロックさんは哲学者としても政治学者としても多くの功績を残しているといえます。
有名人はいい(笑)
やっぱり名前がわかるだけで哲学の親しみやすさは違うのかもしれませんね。
このまま哲学をたたみかけましょう(笑)
と、いうことで次回はご存知、ジャン=ジャック・ルソーさんをやります。
ルソーさんは「つーか、人間て平等じゃなくない?なんで?」ということを考えた人です。
ではまた。
【参考:読まずに死ねない哲学名著50】