9月8日は白露です。
そうです、いつものやつです。
大気が冷えてきて露ができはじめるころ。
だそうです。
もう、そういう季節になるんですね。だんだんと寒くなっていきます。
春は出逢いと別れの季節なんて言いますが、それは一年とおしてそんなに変わらないんじゃないかと思います。
今日は表題の通り、テセウスのパラドックスのお話です。
長くなりそうなので、あまり興味のない人はやめたほうがいいかもしれません。
あ、読者はいませんから関係ないですね。
テセウスというのはギリシャ神話の登場人物で、クレタ島のミノタウロスをやっつけた人です。
彼がクレタ島から帰還した際に乗っていた船は30本の櫂がついていました。
テセウスを讃えて、その船はその後長らく保存されましたが、木材はやがて朽ちていきますので、数百年の歳月を経て、新しいものに交換されていきました。
「あるもの」を構成する部品がすべて別のものに置き換えられたとき、その「あるもの」は同一のものであると言えるのか。
というのがここでの問題です。
ここで重要になるのは、じゃあ「同じ」ってなんなの?というところでしょう。
確かに、構成する部品が置き換えられたことにより、質的には同一とは言いがたくなりましたが、テセウスの船が一隻あり、それには櫂が30本ついている、という数量的な同一性は満たしている、と主張することもできます。
組織だとどうでしょうか。
構成する要素がすべて入れ替わってしまった会社は、同一の会社と言えるのでしょうか。
このとき、「構成する要素」とはなにを指すでしょうか。
そして、何が不変であれば、組織は同一のものとして維持できるのでしょうか。
とはいえ、この手の問題にはたいがい正解がありませんので、あとはひたすら考えるだけです。
どうしてこんな話しようと思ったんでしたっけね。
さてさて、つかれたので今回はこのあたりで。
ではまた。