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2014年09月08日 / 投稿者:Iwasaki テセウスのパラドックス。

9月8日は白露です。

 

 

そうです、いつものやつです。

大気が冷えてきて露ができはじめるころ。

だそうです。

 

もう、そういう季節になるんですね。だんだんと寒くなっていきます。

春は出逢いと別れの季節なんて言いますが、それは一年とおしてそんなに変わらないんじゃないかと思います。

 

 

 

今日は表題の通り、テセウスのパラドックスのお話です。

長くなりそうなので、あまり興味のない人はやめたほうがいいかもしれません。

あ、読者はいませんから関係ないですね。

 

 

テセウスというのはギリシャ神話の登場人物で、クレタ島のミノタウロスをやっつけた人です。

彼がクレタ島から帰還した際に乗っていた船は30本の櫂がついていました。

テセウスを讃えて、その船はその後長らく保存されましたが、木材はやがて朽ちていきますので、数百年の歳月を経て、新しいものに交換されていきました。

 

 

「あるもの」を構成する部品がすべて別のものに置き換えられたとき、その「あるもの」は同一のものであると言えるのか。

というのがここでの問題です。

 

ここで重要になるのは、じゃあ「同じ」ってなんなの?というところでしょう。

確かに、構成する部品が置き換えられたことにより、質的には同一とは言いがたくなりましたが、テセウスの船が一隻あり、それには櫂が30本ついている、という数量的な同一性は満たしている、と主張することもできます。

 

組織だとどうでしょうか。

構成する要素がすべて入れ替わってしまった会社は、同一の会社と言えるのでしょうか。

このとき、「構成する要素」とはなにを指すでしょうか。

そして、何が不変であれば、組織は同一のものとして維持できるのでしょうか。

 

とはいえ、この手の問題にはたいがい正解がありませんので、あとはひたすら考えるだけです。

どうしてこんな話しようと思ったんでしたっけね。

さてさて、つかれたので今回はこのあたりで。

 

 

ではまた。

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