もしも、この世界が5分前に創造されたものだとしたらどうしますか。
まぁ、どうするもこうするもないのですが、仮に世界が5分前に創造されたと主張された場合にその論を否定することができますかというような話です。
知っている人なら、会話のつなぎ程度に話題として挙げるかもしれませんが、そもそもどうしてそれを否定したいのかもよくわからないですよね。
”世界は5分前にできたんだよ”と言われて”そうなんだぁ”では話が進まないわけです。リアクションのさしすせそとか使ってる場合じゃありません。
さて、バートランド・ラッセルさんは「記憶とはなんなのか」ということを考えた哲学者です。
ラッセルさんが提唱した、この世界5分前仮設についても本当にこんなトンデモ理論を展開したかったわけではなくて、「記憶とはなんなのか」という名大に至るための思考実験のひとつです。
--世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。
異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。
それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。
したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。
そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである--
はじめの問いに戻りますが、仮に世界が5分前に創造されたと主張された場合に否定することができますか。
実はこれ、否定することが極めて困難です。というか不可能ですね。
5分前よりもさらに前の記憶がある、ということや同様の事実についても、その5分前にすべて設定された状態で世界が創造されたとすれば、それを否定する論拠とはなりません。
世界5分前仮設の世界においては、過去の記憶も事実も5分前に神によって造られたものなのです。
物理的な方法で世界五分前仮説を否定することはできません。
しかし、世界五分前仮説を否定できないのと同じように、世界が5分前に作られたことも証明できません。
世界が五分前に作られたとして、その証拠になるものはなにもありません。
思考実験ですからね、勝ち負けはありません。
でも、そもそもですけれど、5分前に創造されたことをどうして否定しないといけないんですかね。
別にどっちでも変わらないというか、過去は過去なので現在ではないわけです。
結局は個々の記憶としてどのように残るのかが重要というか・・・。
ラッセルさんもそういうことを考えたかったということなんでしょうけども。
ところで、完全に蛇足というか、それをいったらおしまいなんですが、
世界が5分前にできたとして「だとしたらなんなの?」って思いますよね、普通は。
そうだったとしても、そうでなかったとしても、今を生きている以上はなにも変わらないというか、ね。
ではまた。