『「明日死ぬって言われたらどうする?」
「変わりませんよ」
「変わらないって、どうすんの?」
「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」
「それって、練習の話でしょ?というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」 』
伊坂幸太郎著『終末のフール』より。
『明日世界が終わるとしたらどうする?』
というような質問はわりとよくある場繋ぎ的な会話に登場します。深い意味はないので真面目に考える必要はなく、最期の瞬間をいかに過ごすかだけを素直に考えるべきです。
とはいえ。
もしも世界が滅亡するような事態が判明した場合、上記の終末のフールと同様に世界的な暴動に発展します。
食料品店は荒らされ、公共交通機関も壊滅。好きなように過ごすどころではないであろうことは明白です。
そのため、明日世界が滅びる場合の最期の日の過ごし方は、『何もできない』 が現実です。
正解かどうかはともかく。
しかしながら、それでは芸がありませんので、[自分だけが明日世界が滅びることを知っている]場合の最期の日の過ごし方も考えてみましょう。
こちらのケースでは世界は暴動には発展しません。明日世界が滅びるなどと思ってもいない人たちはいつもどおりの日々を送ります。
明日の[いつ]世界が滅びるかわかりませんが、まぁ無断欠勤ないし病欠で休むとしても、行けるところなどたかが知れています。
もちろん知っているのは自分だけなのでこの時間を誰かと共有することはできません。
つまり、自分だけが明日世界が滅びることを知っている場合の最期の日の過ごし方は、『特別なことは何もできない』 ということになりますね。
なんということでしょう。
夢も希望もありません。長々と書き散らしておいて、芸のない…。
とはいえ。
ではまた。