『大嫌いなサンドイッチ』
~~ここは中西部のある建設現場。
昼食の時間を告げる笛が鳴ると、労働者たちが一斉に弁当を食べ始めた。
サムは弁当の入った袋を開けるといつものように愚痴をこぼしだした。
「またピーナッツバターとジャムのサンドイッチかよ。俺はピーナッツバターとジャムが大嫌いなんだ!」
サムは来る日も来る日も、ピーナッツバターとジャムのサンドイッチに愚痴をこぼしていた。
何週間か過ぎた頃、さすがの同僚たちもサムの愚痴に我慢ができなくなり、一人の同僚がこう言った。
「いい加減にしろよ、サム。そんなにピーナッツバターとジャムが嫌いなら、奥さんに言って別のものを作ってもらえばいいだろうが」
「奥さんだと?」サムは答えた。
「俺は独身だぜ。弁当は自分で作ってるんだ」~~
『癒しの旅』(ダン・ミルマン著)より。
あー・・・え?
あー、はい。
はい、ちょっと怖い話でしたね。
冒頭の『大嫌いなサンドイッチ』は寓話として載っていますが、要は自分で作った弁当に毎日文句を言っている工員の話です。。
冷静に考えてみたらちゃんと真剣に怖い話ですね。とはいえ、あくまで寓話ですからね、きちんと教訓があります。
自身が望んでいないことを、自身で選択して、その状況に不平を漏らす。
というような状態のことですよね。これが愚かであるというか、無意味だよね、という教訓だと思います。
違う解釈もあるのかもしれませんが・・・。
・・・あれ?
ここまで極端なことではないにしても、自身でわざわざ嫌なものを選んでいるなってこと、あるかもしれないですよね。
そこまで意識していなかった、というだけでわざと自身が望んでいない方向に話を進めてしまっている、とか。
なるほど、たしかにちょっと考えさせられる怖い話ですね。
本来ならその選択をしたくないのにもかかわらず、選ばざるをえないような状態なのかもしれません。
だとしたら、そのもともとの要因は何であったのか。
その原因を取り除かないと状態が解消できない、つまりは毎日嫌いなサンドイッチを食べさせられるハメになるわけです。
自身にも十分にあり得ることだなと教訓めいたことを考えてみたところで、余計なことに気づいてしまうのもあまり面白くないような気がしてきたのでこのくらいにしておきましょう。
ではまた。